栃木県の代表的家紋


巴紋

左三つ巴 左二つ巴 右三つ巴


栃木県は巴紋の天国である。わが国で最も巴紋が用いられている。その使用割合も上位にある。
それは歴史的な背景にある。関白藤原道兼の曾孫の宗円より出た宇都宮氏で、現二荒山を本拠として多いに勢力をひろげ一大豪族となった。その一族には八田、茂木、塩谷、中条、宍戸などがあり、みな三つ巴紋を用いた。その子孫が現在も多く存在している関係によるものである。
またこの流派とは別に、藤原秀郷の九代の孫政光より出た小山氏とその一族もみな巴紋を使用した。


巴紋とは何を表しているか。

巴は諸説が極めて多く、謎に包まれた家紋である。いくつかの説について説明する。

1.日本的な解釈では、巴は鞆の側面から見た形を象ったもの。
2.水の流れの渦巻いている模様を象った。
3.蛇のとぐろを巻いている形を表している。(外国説)
4.電光の走る様子を象った。
5.古代の装身具の勾玉を表している。
6.天体の雲の様子を象った。


などなどがあり、現在でも判然としない不思議な家紋である。古代から文様として
世界各国で用いられており、わが国でも古くから見られた。家紋として歴史上に現れるのは鎌倉時代からで、次第に多く用いられ、徳川時代には数多くの大名、幕臣が用いた。










引き両紋

大中黒
(新田引き)
丸に二つ引き


引き両紋もなにを表しているのか巴紋同様に諸説があり判然としない。いくつかの説を述べると

1. 引き両は単に二本の線を引いたものである。
2. 引き両は霊のことで引霊を意味する。
3. 両は竜の意味で竜の姿を象ったものである。その起源は中国の〔易経〕からきている。

以上の説の内、最も有力といわれるのがの説である。
引き両紋はもともと陣幕の文様であったものが、のちに家紋として用いられたものである。
家紋として用いられたのは室町時代からで、南北朝時代の大乱立役者、新田氏〔大中黒〕、足利〔二つ引き両〕の家紋として有名になった。特に足利氏の二つ引き両は、幕府の将軍家の家紋として権威があった。その一族も極めて多く全国に広がった。徳川時代には多くの大名、幕臣が使用した。