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毛利氏の家紋の由来 |
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[一文字に三つ星] |
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三つ星は天文学でいうとオリオン座の中央部に直列する三つの恒星のことで、中国では三武という。将軍星と呼ばれて武人の象徴として信仰された。
毛利氏の遠祖にあたる平城天皇の皇子、阿保親王のご落胤といわれる大江音人おとんどが一品いっぽん親王であったので、その後胤にあたる毛利氏は一品の字を図案化した一文字三つ星紋を用いたと伝えられる。一品とは諸親王の第一階位の親王をいう。 |
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沢瀉は古く平安時代から文様として用いられ、戦国時代には[勝ち草]と呼ばれ、縁起が良いので武士が好んで用いた。
毛利氏が沢瀉を家紋として用いた由来は、[ある年、元就戦さに臨み河を渡りしに、沢瀉にトンボの止まるを見て、観賞惜かず、進んで敵と合戦するに及び勝利を得しかば、この事を記念せんがために、これより沢瀉を家紋と定めたりという](紋章学)
毛利氏の沢瀉紋は宗家と支家では花や葉の形が多少異なっており宗支の区別をしている。 |
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[菊、桐] |
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ともに下賜紋で[永禄三年(1560)正親町おおぎまち院より元就に菊、桐の御紋を勅許せられ、また天正の初め、霊陽院(足利)義昭より耀元に桐の紋を賜わり、代々総領たるものこれを用うという]
「寛政譜」 |
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