山梨県の代表的家紋

菱紋、花菱紋

割菱 丸に花菱 丸に三階菱 丸に松皮菱
菱紋は文様から起ったものである。この文様は古く、奈良時代から用いられ、正倉院所蔵の織物にこの文様が見られる。平安時代を経て、藤原時代になると益々多く用いられた。家紋はこの文様から転化したものである。
菱の名称は、その形が菱の葉に似ているので名付けられた。菱紋を初めて家紋として用いたのは清和源氏義光流の武田氏である。このことは足利時代の「見聞諸家紋」に、これによると永承五年(1050)、前九年の役のとき、住吉神社に祈願し、神託によって拝領した鎧の袖に割菱の紋があり、それを用いたと載っている。

(一)菱紋は二種類に大別される

(1) 主として直線からできた幾何学的模様のもの
割菱・重ね菱・三階菱・松皮菱など
割菱は斜方形に四分割したもので、武田氏の定紋として用いたので「武田菱」ともいわれる。
三階菱は菱を重ねたもので、下から上へ小さくなっていく。
松皮菱はこれも三階菱であるが、中の菱が上下の菱より大きい。
(2) 絵画的で植物の花形のもの
・花菱
花菱は割菱の四つの菱を花弁の様に美化したものである。唐花と同じく、実在する花ではなく、想像的に作られたものである。


(ニ)姓氏関係

菱紋、花菱紋は清和源氏義光流の代表家紋であり、その一族、子孫も多く使用した。
又、三階菱と松皮菱は義光の孫の遠光の長男を長清といい小笠原氏を称した。この小笠原氏が三階菱と、松皮菱を用いた。その理由はいろいろな説があるが、藤原時代からの文様であったもの、家紋として用いたもので、武田家が割菱を代表家紋としていたのでそれにならって用いたと思われる。